ゼロからはじめる小説同人誌 の、猫の巻。

「虎の巻(「芸事などが上達する秘訣を記した書」)」には及ばないけど、でも、ほんとのことだけ記していくよ! 小説同人誌にまつわるそんな心意気を、もりもりこめたブログです。

音や声、香りや手ざわりを紙面に表す

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

今日のテーマは、技術というには感覚的なところですが、

五感を表現に落としこむ」という課題について、

お話していきたいと思います。

 

小説の表現や描写には、さまざまな手法・技法・タイプが

存在しますね。

一般に、男性作家は論理的で空間やその場の様子を具体的に

描写し、

女性作家はどちらかといえば内的なもの、感情や実体の

つかめないものを描写するのが得手だとされています。

 

これは個々人のタイプにもよるので断言はできないし、

同じ人物でも違う表現に挑むことや作風を変えることも

ありますね。

 

しかし、どのような描写軸を持つとしても、

扱えるとぐっと作品に臨場感や深みが出るのが、

「五感」の描写です。

 

五感といっても視覚に関しては、主人公の視点で見えて

いる世界を描写していくことが多いわけですから、

ここは大抵の場合、基本的に誰しもがやっているところ。

 

残る聴覚、嗅覚、味覚、触覚は、使うのが抜群にうまい人と、

あまり意図して使えていない人がいます。

 

これらは、感覚のそのものを紙面に織りこむことは、

もちろん実体がないのでできませんね。

「鈴の音がした」と言葉で記したところで、鈴の音が実際に

読み手の耳元で鳴るわけがありません。

「吐きそうに甘いお汁粉だった」と書いたって、読み手が

ああああああ甘い!!とは決してなりはしない。

 

でも、その「なりはしない」ものを、実体もなく架空の描写でしか

ないものを、表すことができるのもまた表現の力です。

 

これを扱えるようになると、読み手を作品世界へ引きこむ力が

抽んでて強くなります。

フィクションでありながら、あたかも

「今ここに実在する世界」のように、

作品を立体化させることができるようになります。

 

 

そのためには、普段から自分の感覚を、注意深く咀嚼すること。

 

「ああ、熱いお味噌汁だと眼鏡がこのくらい曇るのか」

「お茶がどのくらい冷めたか、飲む前からカップを口に

近づけた段階でわかるなあ」

「雪かき何分やると、手が冷たくて痛くなってくるな」

「爪切る時って無意識に息止めちゃってるな」

「息の吐きかたで、冷たくもあったかくもなるな」

「食べものによって、右側で噛んだほうがおいしいものと、

左側で噛んだほうがおいしいものがあるな」

「台所にいても、居間で家族が煙草を吸うと匂いですぐわかる

もんだなあ」

 

など、見過ごしてしまいそうなことでも、ひとつひとつ

実感として自分の内に蓄積していきます。

そしてそれを、客観視したものに置き換えて=作品の

世界観に合うように編集加工して、

作品に使っていくのです。

 

これは確かな実感を纏った言葉になるので、

なんとなくの想像や適当に表現した気になった言い回しとは

一線を画します。

どれだけ編集しても、感じた時の基盤が自分の中にあるので

芯は変化しないし、感覚というのは概念や調べた物事と

違って一生ものなので、何度でもいつでも思い起こすことが

できる強みもあります。

 

「自分の感覚」はひとりひとりみんな違うから必ず

オリジナルですし、磨けばもっともっと鋭くなって

いける便利で唯一無二の武器になります。

 

音や香り、手ざわりや味わいを自分らしく表現できるようになれば、

作品の魅力も深さを増すでしょう。

 

2016年の直木賞を受賞した恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」も、

「音」への類稀な肉薄が結実した作品でした。

 

 

また、触覚でいえば、これは漫画作品ですが桂正和さんの

右に出るものはいないのではないでしょうか。

 

わたしは「電影少女」でヨータが伸子ちゃんの身体に初めて触れる

場面など、初読から20年以上経つ現在でも、

「凄いなあ」と思い出し続けています。

ほんとに触ってる感じが出ているのですよね……。

「人間の手は、パジャマの上からでも肌の部分と下着の部分の

区別がつくなんてすごい」

というヨータの感覚もこれもまた、実感したことがないと

出てこない描写だと思います。

(当時、読みながら自分でやってみて「確かに!!」と

驚愕したおぼえがあります)

 

感覚を噛みしめながら生きることは、

日々を丁寧に生きることでもありますね。

いろいろ試しながら、よりよい表現の道を

模索していきたいものです。

 

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

小説同人誌の表紙や装丁を自分で創る、その幸せ。

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

今、巷には素敵な小説同人誌の装丁があふれていますね。

 

「どうしたらこんなに素敵なデザインを思いつくんだろう……!」

というぐらい、素晴らしい作品をたくさんお見かけします。

 

それには、同人誌の装丁デザインサービスをおこなっているかたが

増え・また普及したこと、

デザインのセンスと技術に長けた小説同人誌サークルさんが

多くなっていることが

言えます。

 

でも一方で、

「自分はそういう、おしゃれな表紙なんてつくれないし」

「ツールの使いかたとか、素材とかよくわからないし」

「やってみたけど、思ったふうにできなかった」

「正直、見てくれにこだわる時間があれば小説自体の質を

高めたいし」

というかたもまた、多いのではないかと思います。

 

 

これは切実ですよね。

わたし個人も、同人誌を素敵な装丁で創る、というのは

夢のまた夢だったというより、諦めていました。

「どうせうまくできないし、やったって時間の無駄」

とも感じていました。

 

でも、思いはあったのですよ。

本のかたちにするなら、やっぱり、できるだけ自分の思った

通りの装丁にしてみたい、って。

 

それで、試行錯誤を始めました。

調べながら、やってみながら、

最初は「レイヤーを重ねる」ことの意味もわからず、

投げだしたい時もたくさんあった。

その辺りのことは、以前にもこのブログで記しました。

小説同人誌の、装丁の話。 - ゼロからはじめる小説同人誌 の、猫の巻。

 

 

 

2016年11月に「ゼロからはじめる小説同人誌」を始動してからは、

小説同人誌の装丁サービスも試験的に始めているのですが、

それには、そのかつての自分の思いが強くはたらいています。

 

というのも、わたしができる装丁サービスというのは、

ほんとうに大したことがなくて、たかが知れています。

既に、素晴らしいクオリティで装丁サービスをおこなっている

かたもたくさんおられ、拝見してはその珠玉さに感動していますが、

でもそれをやりたいな!と思ったのは、

 

本づくりをやってみたいけど諦めている人、

素敵な装丁に憧れるけど無理だなと思っている人に、

「こいつでもこのくらいはできるんなら、自分もできるように

なるな!」

と、思っていただきたいから。

 

なので、リピーターになっていただきたいとは考えていませんし、

自分で創ろうとするかたには、何回でもいつでも相談にのります!

というふうにしています。

 

だってね、

素晴らしい装丁サービスを提供しておられるかたの技術はほんとうに

すごくて、わたしなどでは生まれ変わってもかないません。

でも、どんなに秀逸な技術があったとしても、

そのかたの作品の世界観を、そのかた以上に表現することは

不可能なのです。

 

「この物語はこうなんだ!!」

という、唯一無二の、そのかたの中にしかないものを、

他者が表すことなんて、できるわけがない。

 

だから、自分で創れるようになること。

わたしが応援したいのはこの地点です。

 

 

どんなに拙くても、

フリーソフトだけでも、

【自分の表現したいもの】があれば、それを諦めなければ、

必ず素敵な装丁をかたちにできます。

 

 

その満足感と幸せは、ちょっと他で代替できないくらいの

至福です。

自分でやればタダですしね(^ω^)♪

 

 

もちろん、記念の本や、特別に気合いをこめた本にしたい時、

素晴らしい装丁サービスのかたにお願いするのも、

一生の記念になるし、素敵なことです。

デザインに秀でているかたの仕事を見るのはすごくいい体験

ですしね。

 

 

でも、自分で創るって楽しいですよ。

ものすごくエキサイティングでわくわくして、

興奮と感激で満ちあふれている。

 

だから、わたしは装丁を考えさせていただく際は、

その作品を拝読し、

デザインに合う紙も考えたり、

必要なら手順ややりかたもすべてクリアにお伝えします。

 

「かたちにできてうれしい!」

という気持ちを、もっと知る人が増えていったらいいな、

と思うので。

 

 

ゼロからはじめる小説同人誌の装丁サービス

よかったらのぞいてみてくださいね。

 

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有効なインプットのために。「さまざまなものに触れて幅を拡げる」方法(2)

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

有効なインプットのために。「さまざまなものに触れて幅を拡げる」方法(1) - ゼロからはじめる小説同人誌 の、猫の巻。

 

先ほどの記事の続きです。

 

 

インプットを生かせる状態の時に、では、どんなものに触れるか。

さまざまなものに触れて幅を拡げる、とひとことで言っても、

どんなものを指すのか?ということですが……

 

ユリお姉は、どんなインプットをしてる?

 

 

ユリお姉>

あら、なによ久しぶりじゃないの!

ちょーどいい話題だわね、

アタシも最近脱稿したから、

インプット楽しんでるとこだったのよ。

めっちゃ楽しいわよね!!

 

 

 

ユリお姉は何が好きなんだっけ?

 

 

アタシは自分の好きなものしか見ないから、あんまアタシのインプットを

説明しても役には立たないかもしんないけど、

のめりこんでるのは大相撲とフィギュアスケート(ユー○じゃないわよ)

と将棋ね!!

 

もしこれ全部が禁じられる時代が来たら、地上に未練がなくなるレベルよ。

 

そのほかは、ほとんどアニメも観ないし連載追ってる漫画も今はひとつしか

ないけど、

本を読んだり、図書館ではよく画集や、海外の建築の資料を見るわね。

あと、テレビドラマと時代劇と映画。

 

 

 

そうなんだ。

でも、読書や建築資料、映像ものはまだわかるけど、

スポーツ観戦がインプットになるの?

 

 

あのねー、それがインプットになるかどうかは、

自分しだいなのよ!

どんな良いものでもただボサっと見てたらなんにもなりゃしないわ。

 

逆に、一見関係ないものに思えることだって、自分の意識しだいで

もんのすんごく有意義な師になるのよ。

 

たとえばね。

アタシが相撲やフィギュアスケートで何を見てるかって、

力士の取組や選手の演技であることには違いないんだけど、

もっと全体的に見るの。

 

相撲ならね、力士は支度部屋を出たら、花道と呼ばれる通路で

準備して、それから土俵下に向かうんだけど、

花道を発つまでは、関取(十両以上の力士)には、

付け人さんがついているの。

で、アタシは、それをめっちゃ見てるの!!

 

付け人さんっていうのは、幕下以下の力士で、自分の取組は2日に1回だけ。

そのほかの日は、自分がついてる関取のお世話をしたり、部屋の雑用を

したりする。

忙しいし、関取のお世話を第一にしなくちゃいけないし、大変なのよ。

 

花道では、その付け人さんが関取にお水を渡したり、背中を拭いたり……

関取が取組を終えて戻ってくるまで、じっと待っている。

 

関取が負けて帰ってくれば、タオルを放り投げてきて八つ当たりされる

ことだってある。

関取が勝って戻ってきたら、たとえ自分が負け越していても笑顔で労って

あげなくちゃいけない。

 

一生懸命で、すごく健気な人たちなのよ。

アタシはそれを見てるともうもう、ガチで号泣よ( ノД`)

 

そんで想像するわけ、

付け人さんの毎日や人生を!

 

朝は眠いのに関取より早く飛び起きて、

「あああ今日は洗濯しなくちゃもう替えのパンツがねえ!でもやる暇あるかな」

とか考えながら稽古して関取の支度を手伝って、

親方からもおつかい頼まれて、

関取の荷物かついで場所入りして、

疲れても弱音も吐かず、

たまに田舎の親から来るメールには「ターくんが横綱になるの楽しみに待ってるよ」

なんてあって、なれないよ母ちゃん、とかひとり泣いたりして、

そんで……

 

 

あーっと、ユリお姉がノンストップに……

それが、どう創作活動の有効なインプットにつながるの?

 

 

なによもー、これからがいーとこだったのにヽ(`Д´)ノ

だからね、

そうやって、ある人のことを洞察して、ただ眺めているだけじゃ

わからない細部まで想像することで、

作品の人物像に深みを出せるのよ。

 

よくあるじゃない、ファンタジーものの設定で、

「目はオッドアイで、髪は青で、失われた魔族の血を引いていて

うんぬんかんぬん」

みたいなやつ。

そういう外見的で基本的な設定ももちろん大事だけど、

でもそれだけだと、

その人物が「素ではどんな人間なのか」ってことは、

わからないでしょ。

 

「靴下は必ず右足から履く」とか、

 

「よく耳かきしすぎて血を出している」とかさ(;´Д`A ```

 

そんな、物語の世界観としては全くどーでもいいような

ことが、その要素を実際に作中で出す出さない関係なく、

人物像を立体的にして味わいを深めてくれるのよ。

アタシが付け人さんを見守って日々を想像して感じることは、

それにすっごく通じるの。

 

 

設定は魅力的なのにどうもぱっとしない、と自分の

キャラクター描写に納得できない場合は、

こんなふうに人物像へ肉薄していくと、ぐっと

キャラが身近になるわよ。

 

 

そういうことを、アタシはドラマや時代劇や将棋対局でも、

いろいろ想像しながら観てるってわけ。

 

 

なるほど!

考えたら、スポーツや映像作品の全部に、「人間」が

関わっているものね。

人間の生身の人物像や生きざまをたくさん知って、想像して、

それで得られたインスピレーションが自分の作品に

生きてくる、というわけですね。

 

 

そーゆーこと!

映像作品なら、ストーリーやフィクションとしての世界を

堪能すんのは当然だけど、

その創り手の人たち、特に裏方の人のことを想像したり……、

 

スポーツなら観客席の人のこともじっくり見て、

この人はこの場をどれぐらい楽しみにしていたのかとか、

この人は何がきっかけでそのスポーツが好きになったのかとか、

このあと、どこか寄ってから帰宅するのか、

あるいは遠征組でホテル宿泊なんだろうか、

ホテルは会場から遠いのかしらとか、

自分の中で自由に想像すんのよ。

 

それだけで、小説が何百本もつくれると思わない?

無数の「人生」のかけらを垣間見れるわけだから。

 

 

自分の作品の幅を拡げるだけでなく、ネタも見つかるし

多くの人間ドラマに触れることができる、

ということですね。

 

 

そう!

もちろん、だからって、じゃあ相撲やドラマを観なきゃってことじゃ

ないのよ。

アタシは、同志が増えたら語れるから楽しいけど、

興味は自分で見つけなくっちゃ。

 

まず大好きになるからこそ、詳しくなりたいと思うし

調べようと思うし、

熱中できるんだから。

 

好きの結果が、良質なインプットになったり、

あるいはその分野に通じることで作品のテーマにできたり、

創作活動に生かせるようになるんであって、

「生かすために」って前提で何かを知ろう、っていうのはちょこっと違うのよね。

 

ほらあれよ、

ガラスの仮面で、亜弓様が恋する演技のために恋を知ろうとする

じゃない?

けどほんとに恋を知るにはさ、自分が落ちなきゃいけないでしょ。

え?アタシ?やーねもうっ!!教えてあげないわよっ!!!!!

(お姉、またも強制送還)

 

 

……別にきいてないけれどもね……(;´∀`)

 

そんなわけで。

インプットのお話でした!

 

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有効なインプットのために。「さまざまなものに触れて幅を拡げる」方法(1)

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

少しお久しぶりになりました。

私事ながら、自分の同人誌の原稿が大詰めだったので、

そちらへ集中しておりました。

更新のない間も、お目通しくださった方様、

ありがとうございます。

 

 

さてさて。

今日は、インプットの有効な活用方法について。

物事は表裏一体になっているものが多いですが、

「インプット・アウトプット」もまた、

セットになっていますね。

 

どちらかばかりに傾いていると、どうしても、

創作活動においてはあまり良い状況を為しません。

 

 

インプットばかりだと、

自分の意見や方針を固められず、良いとされている

既存のものに流されやすくなるし、

 

アウトプットばかりで何かを吸収することがないと、

だんだん、自分の内にあるものが先細りして、

疲弊を招いてしまうことにつながります。

 

 

今回はインプットのお話ですが、

アウトプットのほうもまたいずれ。

 

 

「さまざまなものに触れて、自分の幅を拡げる」

ことは、インプットをすることの最大の

収穫であり、意義であり、期待する結果でもありますね。

 

 

ただ、ここで問題になるのは、

「それが、その時の自分にとって、必要なことなのか」

という点。

 

ここがあやふやだと、

インプットの長所を生かしきることができなくなります。

 

どういうことかというと、例えば、

「良い映画を観ると勉強になる、と聞いたので観ようとする」

とします。

 

観ようと思うことは良いことなのですが、

この時に、

「これを観れば勉強になるはずだ」

「いい収穫があるといいな」

「ほんとはこんなことより原稿進めたいな……」

「2時間も無駄にして大した得るものなかったらどうしよう」

などの焦りの気持ちがあると、このインプットはプラスの結果を

もたらさないことになります。

 

こういう時は、無理にインプットをしないほうがいい状態、と

いうわけですね。

 

そうではなく、

「うおおこれ観るの楽しみ!」

「参考になるとこたくさん見つけるぞーー!!」

と自然に、わきわきして思える時は、

インプットをたくさんして、いいものをふんだんに

吸収できるタイミングです。

 

そういう状態は、身体が疲れている時や精神的に余裕が少ない時

などには起こりにくいので、

日々の休息を意識してとることも大事ですね。

 

このあとの記事で、具体的な

「インプットを生かして幅を拡げる」お話をしていきますね。

 

 

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

 

 

 

 

セオリーと違っても、「自分の定石」を持つ。

 

こんばんは。

猫宮ゆりです。

 

今日はちょっと、一部で人気の?ユリお姉が、

言いたいことあんのよ!!」とのことで……

 

 

ユリお姉>

そーーーなのよ!!

ビシっと言わせてもらうわよ!!

 

 

小説同人誌を愛するユリお姉、時に辛口ですがその

小説同人誌への愛はガチンコです。

 

 

そーよ。

だからこそ言いたいんだけど、まずね、ほんと、

小説サークルさんって、控えめで気持ちの優しい人が

多いのよ。

 

それは、すっごく素敵なことよ。けど、

それゆえに、他人のセオリーに流されちゃう人もまた

多いの。

それって、超もったいなくない!?って話なのよおおおお!!

 

 

あー……。

何かで見かけた、「こうするべき」「こうすると良い」みたいな

情報を受け入れすぎちゃう、というようなこと?

 

 

そ。

何らかの文章読本とかの講釈だったり、

ネットで目にしたアドバイスだったり、

Twitterで誰かがリツイートしてきた知識だったり、

そーゆうのに、流されすぎちゃう人が多いのよ。

 

あのね、「目にした情報の有益なところを素直に取り入れる」

ってのは、イケてることよ。

むしろ、なんのかんのって理由をつけて、「でも」「だって」

「私の場合は……」なんてもだもだやってたんじゃ、それ以上

伸びないわよね。

だけど、なんでも鵜呑みにしすぎちゃうのは、それもあんまし

良くはないって話。

 

ポイントは、その「鵜呑みにするかどうか」なのよね。

 

 

なるほど。

自分のところへやってきた情報を、いったんフラットに

吟味して、それが自分に必要かどうかを見極めて、

取捨選択をはかった上でそれを採用しよう、ということですね。

 

 

そうそう。

その情報の、「いい部分、自分にとって有用な部分」を

採用すんのよ。

 

Aさんにとっては参考になる情報でも自分には不要とか、

Bさんにとっては無意味だけど自分にとっては素晴らしく

重要とか、

そーゆうのを、ちゃんと自分で判断してかかるの。

めっちゃリツイートされてるから真似しようとか、

憧れの○○さんがリンク貼ってたからすごいんだろうとか、

大事なのはそんなとこじゃないんだってば。

 

自分にとってどうか、で、決めんのよ。

だから場合によっちゃ、流れてきた情報の逆をやる、

ってことだってあるわけ。

自分にとってそっちが合ってればね。

 

 

それが、「自分の定石を持つ」というタイトルに

つながるんですね。

 

 

そう。

いわゆる小説のつくりかたのセオリーで、慣習になってる

ことっていっぱいあるじゃない。

 

でも、自分はこうだ!って感じたら、そっちを選べってこと。

特に同人誌はさー、自分の好きなふうにつくれなきゃ、面白くも

なんともないじゃないのよ。

どうしてもなんか周りと足並み揃えたくなる、って気持ちも

わかるけど、それで迎合したって誰も責任とってくんないんだから。

 

 

確かに。

このブログやサイトで言っていることも、もちろんそうです。

「こんな考えかたや方法があるよ!」という意味で、

お目通しいただければそれはとても嬉しいですが、

別に、「こうしなければいけない!」なんてことはないし、

ましてや、「このようにやれ!」など全く思ってはいません。

 

ただ、ひとつの考えかたの紹介や提起をしているだけで、

それが何かの役に立てば嬉しいですし、

合わなかったとしても、それなら他のやりかたを考えることに

着手できる。

そういった意味での、柔軟な有意義さを目指しています。

 

 

そうそう!

アタシたちを、そんなふうに使ってもらえたら最高よねっ。

そーやって、みんながどんどん素敵な作品を創るように

なったらそれが一番嬉しいんだから!

いいかたちでの自信をめいっぱい宿した同人作家はね、

鬼に金棒なんてレベルじゃないわよ!!

 

 

 ですね!!

これからも、そんな「その人らしい」表現のためのすべてを、

ユリお姉とともに応援していけたらと思っています。

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

 

 

 

 

 

文章をいきいきさせるには、リアルタイム描写が効く。

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

巷でたまに見かける、小説同人誌の本文に関する悩みとして、

「文章に臨場感がない」

「文章の印象が薄い」

「文章に説得力や迫力がない」

というものがあります。

 

それはあくまで、創り手の主観の場合、

ほんとうにそうなのか?を判断するのは難しいですから、

読んだ人もそう感じるか、といえばそうでもないケースも

あるでしょう。

文章に対する理想が高いゆえに、自分の文章に課題を感じる

人も多いです。

 

むろん、終わりなき発展の余地がある創作世界ですから、

理想を高く掲げそれを追求し続けるのは素晴らしいこと。

己の作品に向き合い、鍛錬を継続するのは必ず、

自分の創作を豊かにするはずです。

 

そこで、今回は「リアルタイム描写」を薦めます。

これは、簡単にできて結果が出やすいトレーニングというか、

文章遊びですが、すぐに作品に活きてくるはず。

 

やりかたはほんとに簡単、今すぐ、自分の目の前のことを

どんどん描写していきます。

まずは、推敲を考慮せず、じゃんじゃんやっていきます。

はいスタート!

 

 

 窓からさしこむ陽の光がまぶしい。

 午前の陽光は柔らかいのに強くて、ゆり子の額の上を薄白く温めてくる。そのまぶしさにふと思索が止まり、ああ、紅茶を淹れてあったのだと思い出す。炬燵の右端へ置いていた茶器にそっと触れると、もうその熱かった温度はすっかり冷めてしまっていた。

 それでも、カップへ注いで卓上に出しっぱなしにしてあったミルクも合わせる。右手で取手をつかんでひと口、すっと飲むと、花の香気が立ってやはりおいしい。このフレーバーティーは、ゆり子が11月に札幌へ行った折に購入してきたものだ。

 横座りしていた両脚が、かすかに痺れを訴える。脚をずらして左の頬を掻き、降りかかるおくれ毛を耳のほうへと追いやる。

 息を吐けば、後方で作動している加湿器の音が、いやに大きく聴こえた。

 

 

 

こんな感じでやっていきます。

これは今のわたしが室内でやっていたのでこんなものですが、

カフェなどに行ってやってみると、もっと描写できることが増えるので

面白いですよ。

ちなみに今日のお茶はルピシアのウェディングです。好きです。

 

 

また応用法としては、出先での出来事をおぼえておいて、

あとからそれが今起こっているようにリアルタイム描写で活写し直して

みる。

こうすると、その場での空気感や雰囲気まで表せるようになり、

小説本文をつくる際にも、「架空の世界を、質感を持って表現する」

ことが磨かれてきます。

 

文章に臨場感を出すには、「今」に着目して表すこと、

文章の印象を濃く残すには、着目した「今」に肉薄すること、

文章に説得力や迫力を生むには、自分が「ほんとうに体感した事象」を

織りこむこと。

 

このすべてを、リアルタイム描写で修練することが可能です。

電車の中で、道を歩きながら、食事しながら、掃除の過程で、

いつでも、頭の中でもできます。

 

楽しいし時間つぶしにもなるので、

待ち合わせの時などにも便利です。

 

 

 

 と、ブログの記事を打ち終えて、窓の外を見る。

 表は風が強く、庭の木が枝をわさわさと揺らす。その寒さの中でも光を受けて透明な金色に輝く軒下のつららは、頻繁に溶けた雫を落としていく。

 1月、春はまだ遠い。しかしゆり子の心はもう、5月の東京へ向けられていた。

 

(PS.スパコミ出ます(/・ω・)/)

 

 

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

 

 

「小説同人誌は買わない・読まないという層」のこと

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

明けましておめでとうございます。

Twitterではご挨拶をしていましたが、ここの更新は本日が

本年初となります。

改めまして、旧年中はありがとうございました。

今年も何卒よろしくお願い致します。

 

っと、

 

 

ユリお姉>

ちょっと!!!

いつになったらアタシも

ご挨拶できんのかって、

待ちくたびれたじゃないのよ!!

みなさーーーーん、

今年も、どうぞ、

よ・ろ・し・く・ねっ!!

みんなが自分の

「これ好きなんだぜ文句あっか!!」

ってゆーよーな作品を、

これでもかと生み出せる

1年になること、アタシ

全力で祈ってるからっ!!(*'ω'*)

 

 

……鼻息荒いね……。

ともかく、ユリお姉ともども、今年も濃い発信をたくさんして

ゆけたらと思っております。

 

さて。

2017年最初の更新は、

「小説同人誌は買わない・読まない層」について。

 

過去にもここでお話してきた、

「小説同人誌だと手に取ってもらえない」

とか、

「小説同人誌だと、『なんだ小説か』って感じの態度をとられる」

とかのテーマと重なってくるのですが、

確かに「小説同人誌だと買わない・読まない」という人はいます。

 

同人小説は一切読まない、という人、

アンソロジーに収録されていたらまあ読む、という人、

普段は読まないけど好きなサークルさんがいて、その人のなら

読む、という人。

この辺りは、さまざまです。ね?

 

 

そーねえ。。

ていうか、そういう層の人ってさ、一般文芸とか文学も

全然読まないのかしらね?

それとも同人だけってこと?

どーなのかしら。

 

 

うーん。

いわゆる「本を読まない」という人で、だから同人誌でも、漫画だけ

読む、ということか、

それとも小説は読むけど同人誌は漫画派、ということか。

その辺りは、もちろん個人差もあるでしょうが、

確かにどうなのでしょうね。

 

 

まあアタシはどっちだっていいんだけど、でも、

なんか、普段から本読まないーって人とか文章読むの苦手ー、

嫌いー、って人が小説同人誌読まないのは理解できるにしてもよ、

一般小説や文学作品は読むけど同人誌では漫画オンリー、

って人って、ちょっと、こう、……あれじゃない?

 

 

あ、あれとは……。

 

 

つまりあれよ、ほら、意識高いってゆーか、

「同人で小説書いてるやつの作品なんて読むに足らん」

みたいな考えなんじゃない??

だから読まないんじゃない?違う?

 

 

あー……。

一理ありそうですね。

まあ、それ自体は個人の主観ですし、そういう考えを持つ

ことは全然いいと思いますが。

 

 

そう。

アタシには関係ないしね。

けどさ、そーゆーふうにだけ考えてるのって、

もったいないっていうか、損はしてるわよね。

だって、小説同人誌には素晴らしい作品が山ほどあって、

素晴らしい創り手がうじゃうじゃいるんだから。

それに目を向けようとしないのは、単純にもったいないわよねえ。

 

 

そうですね……。

好みが判断しやすくてどんどん読める漫画作品とは違って、

小説の場合ある程度は読み進めないと好みか否か見えてこないし、

長い物語だと読むのに気合いや時間も必要だから、

ハズレを引きたくない、という事情もあるのかもしれません。

でもやっぱり、小説同人誌好きの我々からすると、

もったいない。ですね。

 

 

そうよ。

もったいないわよ!!

アタシは、「この小説同人誌を知らずに墓にはいれっか!!」

ってぐらい、大好きで大好きで、それを今世で知ることができて

よかった!!って思える作品がたくさんあるわ!

 

でも、それも、やっぱ、個人の選択の結果なのよね。

それこそ、人それぞれ好みもあるわけだしね。

だから、読まない層のことは置いといて、

アタシらはアタシらの「これが好きだ!!」ってものを

貫いていけばいいのよ。

自分に集中すんの。

結局、それがいちばん平和だし、いいものもつくれるしね。

そーやってってるうちに、読まない層にも思いがけない

かたちで届いたりとかもするもんよ。

 

 

 

だねー(*´▽`*)

気にしても仕方のないことは気にせず、

自分のつくりたい作品に集中する。

 

それが、最強の在りかたですね。

 

今年も突き進みましょう!

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

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