ゼロからはじめる小説同人誌 の、猫の巻。

「虎の巻(「芸事などが上達する秘訣を記した書」)」には及ばないけど、でも、ほんとのことだけ記していくよ! 小説同人誌にまつわるそんな心意気を、もりもりこめたブログです。

推敲と校正のデメリット。

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

このカテゴリーでは、小説技術の話を少しずつ、掘り下げてゆきます。

今日は推敲と校正のことを。

 

推敲と校正、どちらもとても大切です。

推敲は文章を練って全体の構成をブラッシュアップし、仕上がりの質を

高めるために不可欠ですし、

校正は誤字脱字がなく文脈的にも誤りのない文章を創るために重要です。

 

小説同人誌の場合、多くはこれらの作業も自分ひとりでおこなうため、

どうしても他のスケジュールや仕事の兼ねあいなどとの時間勝負になり、

充分に推敲・校正の時間をとれないまま入稿するケースも多くなります。

 

本になってから誤字脱字に気づく、おかしな文章になっていた箇所や

エピソードの重複が発覚するなどは、あるあるなのかもしれません。

 

だからこそ、可能な限り余裕を持って予定を立て、原稿を入念に確認できる

ように努めることが望ましいのですが、

実は、

推敲や校正は、やったらやっただけ良い、とも、言えないのですね。

 

その理由は、

「きりがないから」ということもいえますが、

一番は、

「文章の勢いを削ぐ」から。

 

文章は、言葉が文字に起こされた瞬間がもっとも力にあふれ、説得力を備えて

います。

迸ったばかりの言葉は、鮮度と勢いに満ち、活力を感じさせるものです。

 

それが、推敲を経ると徐々に、その最初の勢いを減じていきます。

何度も何度も吟味され、考慮されていくうちに、文章の体積が痩せてきます。

 

そうして説得力を消耗した言葉は、その作者を不安にさせ、

「これって面白いのかなあ……」

「どこかで読んだような話だし……」

「これわざわざ本にすることないんじゃ……」

という心境に迷いこませてしまいます。

 

校正も、あまり神経質にあら探しのごとくやってしまうと、文章が拗ねてきます。

正しい文章、端整な文章は素晴らしいですが、でも、小説の本質は

「正しいこと」「美しいこと」にのみ、あるわけではないのですね。

 

もちろん正しく美しい文章は読みやすく、理解もされやすいものです。

でも、時にそれが間違っていようと美しくなかろうと、自分が表現したいと

感ずるものを感ずるように表すのが小説の力に他ならないのですから、

正否や可読性ばかりを追い求めて校正を繰り返してしまうと、文章がグレます。

 

いったん拗ねてグレた文章は作者の悪癖になってついて回るようになるので、

作者はそれによって自信を持てなくなったり、文章にコンプレックスを抱える

こともあります。

 

推敲と校正は、客観的にさらっと行い、自分の表現を信じて、

思いきって作品をうち出してゆけると良いですね。

 

 

☆でも「推敲不足」は、×です。

「原稿は上がってからが始まり(推敲こそ肝心)」とも言いますし、

推敲不足は自分の作品に対する愛情不足でもあると思います。

「これで出しちゃって平気なのか!?(;゚Д゚)」というほど推敲が

不足しているものも、実際に見かけることがあります。

それは文章のうまいへたと全く関係がありません。

自分の作品に無頓着である、ということは、どういう角度から見ても

先へ繋がっていきませんので、目ん玉かっ開いて向き合う時間を

少しでも、取ると良いと思います。

 

校正は、同人誌の場合、できなくてもあまり気にしなくていいかも。

プロが校正している本ですらまれにある誤字脱字や誤用を、修羅場明けの

脳みそで完璧になくそうともがくのはいささか無理があります。

それよりは、本文原稿と推敲に時間と体力を全振りするほうが前進的ですね。

(もちろん、一度はやれたら最良ですが)

 

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

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