ゼロからはじめる小説同人誌 の、猫の巻。

「虎の巻(「芸事などが上達する秘訣を記した書」)」には及ばないけど、でも、ほんとのことだけ記していくよ! 小説同人誌にまつわるそんな心意気を、もりもりこめたブログです。

登場人物は、架空の、「紙の中のキャラ」ではない

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

小説技術の話を掘り下げてゆくこのカテゴリー、今度は

登場人物の描写のことを。

 

とても文章がきれいで、読みやすくて、ストーリー性も発揮された

小説同人誌でも、

「あっ、このキャラクターは紙の中にしかいないんだな……」

感じてしまうことがあります。

 

いや、確かに小説の中の人物は「紙の中にしか存在しない」のですが、

でも、真実そうなら、小説なんて読まないですよね。

 

読んでいて、その人物がいまそこに生きているように感じ、

その生きざまや感情をまざまざと感じ入るのが小説の面白さであり、

楽しみであり、特色なのだと思います。

 

それが、醒めてしまう、

あーどうせ作り話だし、こんなこと実際にないし、どうせ架空のキャラだしなあ、

と読んでいる途中で現実に戻ってしまうのは、とても寂しいことです。

 

こういう場合、どこかでその作者自体も、醒めてしまっている場合が多いです。

どうせこんなんあり得ないし、しょせんキャラだし、と。

 

むろんそれは、ある一点から見てその通りですし、当然のことです。

フィクションはフィクション。

キャラクターはキャラクターです。

 

でもそれじゃ、小説に意味なんてなくなっちゃうじゃないか。

小説は現実的に何の意味もない、何も為しはしない創作物なのでしょうか。

 

そんなことはない。

小説はかけがえのない表現方法で、優れたエンターテインメントで、

キャラクターは物語の中で生きる可能性と力を必ず秘めている。

わたしはそう思います。

 

そしてそれを起動させるのが他でもない、創り手の情熱と力量と心意気なのです。

 

一度キャラクターにとことん寄り添ってなりきって、

こういうときどうするだろう、どう考えるだろう、どう感じるだろう、

それらを深く深く想像して、体感して、

そして、その上で視点を鳥瞰に転じさせる。

 

「自分事」にしないと、つかめないもの、わからないものがたくさんある。

けれど、

「自分事」のままでは、描写できないのです。

 

そうやって、登場人物を生かしていく。

設定用紙に書きこまれた性格や設定や生い立ちだけじゃなくて、

もっと濃密に深々と、生のその人物を描きだしていく。

 

設定でクールなキャラも、おなかが痛い日だってあるだろう。

優しい聖母キャラも、頭が痛い日だってあるだろう。

天真爛漫なキャラも、なんだか腹立たしい日だってあるかもしれない。

そんなとき、その人物たちはどうするか?

 

鞄を持つ時の癖は、

靴はどちらの足から履くか、

お茶を飲むとき両手でカップを持つかも?

刀の手入れに隙なしのキャラが、足袋に穴あいてたらどうごまかす?

足が痺れたら、

爪を切りすぎたら、

唇が荒れたら、……

さあ、どんなリアクションをする?

 

そんなふうに、身近なエピソードを肉づけして考えていくと、

どんどん人物像がくっきりしてきます。

そこに、世界観やそのストーリーならではの要素を加味して

いけば、俄然キャラクターに味と親しみが出て、ぐっと物語が

面白くなります。

 

登場人物を、紙の中だけの偶像にするか、

ひととき目の前に実在する人間にするかは、作者自身の思いに

かかっています。

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

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