有効なインプットのために。「さまざまなものに触れて幅を拡げる」方法(2)
こんにちは。
猫宮ゆりです。
有効なインプットのために。「さまざまなものに触れて幅を拡げる」方法(1) - ゼロからはじめる小説同人誌 の、猫の巻。
先ほどの記事の続きです。
インプットを生かせる状態の時に、では、どんなものに触れるか。
さまざまなものに触れて幅を拡げる、とひとことで言っても、
どんなものを指すのか?ということですが……
ユリお姉は、どんなインプットをしてる?
ユリお姉>
あら、なによ久しぶりじゃないの!
ちょーどいい話題だわね、
アタシも最近脱稿したから、
インプット楽しんでるとこだったのよ。
めっちゃ楽しいわよね!!
ユリお姉は何が好きなんだっけ?
>
アタシは自分の好きなものしか見ないから、あんまアタシのインプットを
説明しても役には立たないかもしんないけど、
のめりこんでるのは大相撲とフィギュアスケート(ユー○じゃないわよ)
と将棋ね!!
もしこれ全部が禁じられる時代が来たら、地上に未練がなくなるレベルよ。
そのほかは、ほとんどアニメも観ないし連載追ってる漫画も今はひとつしか
ないけど、
本を読んだり、図書館ではよく画集や、海外の建築の資料を見るわね。
あと、テレビドラマと時代劇と映画。
そうなんだ。
でも、読書や建築資料、映像ものはまだわかるけど、
スポーツ観戦がインプットになるの?
>
あのねー、それがインプットになるかどうかは、
自分しだいなのよ!
どんな良いものでもただボサっと見てたらなんにもなりゃしないわ。
逆に、一見関係ないものに思えることだって、自分の意識しだいで
もんのすんごく有意義な師になるのよ。
たとえばね。
アタシが相撲やフィギュアスケートで何を見てるかって、
力士の取組や選手の演技であることには違いないんだけど、
もっと全体的に見るの。
相撲ならね、力士は支度部屋を出たら、花道と呼ばれる通路で
準備して、それから土俵下に向かうんだけど、
花道を発つまでは、関取(十両以上の力士)には、
付け人さんがついているの。
で、アタシは、それをめっちゃ見てるの!!
付け人さんっていうのは、幕下以下の力士で、自分の取組は2日に1回だけ。
そのほかの日は、自分がついてる関取のお世話をしたり、部屋の雑用を
したりする。
忙しいし、関取のお世話を第一にしなくちゃいけないし、大変なのよ。
花道では、その付け人さんが関取にお水を渡したり、背中を拭いたり……
関取が取組を終えて戻ってくるまで、じっと待っている。
関取が負けて帰ってくれば、タオルを放り投げてきて八つ当たりされる
ことだってある。
関取が勝って戻ってきたら、たとえ自分が負け越していても笑顔で労って
あげなくちゃいけない。
一生懸命で、すごく健気な人たちなのよ。
アタシはそれを見てるともうもう、ガチで号泣よ( ノД`)
そんで想像するわけ、
付け人さんの毎日や人生を!
朝は眠いのに関取より早く飛び起きて、
「あああ今日は洗濯しなくちゃもう替えのパンツがねえ!でもやる暇あるかな」
とか考えながら稽古して関取の支度を手伝って、
親方からもおつかい頼まれて、
関取の荷物かついで場所入りして、
疲れても弱音も吐かず、
たまに田舎の親から来るメールには「ターくんが横綱になるの楽しみに待ってるよ」
なんてあって、なれないよ母ちゃん、とかひとり泣いたりして、
そんで……
あーっと、ユリお姉がノンストップに……
それが、どう創作活動の有効なインプットにつながるの?
>
なによもー、これからがいーとこだったのにヽ(`Д´)ノ
だからね、
そうやって、ある人のことを洞察して、ただ眺めているだけじゃ
わからない細部まで想像することで、
作品の人物像に深みを出せるのよ。
よくあるじゃない、ファンタジーものの設定で、
「目はオッドアイで、髪は青で、失われた魔族の血を引いていて
うんぬんかんぬん」
みたいなやつ。
そういう外見的で基本的な設定ももちろん大事だけど、
でもそれだけだと、
その人物が「素ではどんな人間なのか」ってことは、
わからないでしょ。
「靴下は必ず右足から履く」とか、
「よく耳かきしすぎて血を出している」とかさ(;´Д`A ```
そんな、物語の世界観としては全くどーでもいいような
ことが、その要素を実際に作中で出す出さない関係なく、
人物像を立体的にして味わいを深めてくれるのよ。
アタシが付け人さんを見守って日々を想像して感じることは、
それにすっごく通じるの。
設定は魅力的なのにどうもぱっとしない、と自分の
キャラクター描写に納得できない場合は、
こんなふうに人物像へ肉薄していくと、ぐっと
キャラが身近になるわよ。
そういうことを、アタシはドラマや時代劇や将棋対局でも、
いろいろ想像しながら観てるってわけ。
なるほど!
考えたら、スポーツや映像作品の全部に、「人間」が
関わっているものね。
人間の生身の人物像や生きざまをたくさん知って、想像して、
それで得られたインスピレーションが自分の作品に
生きてくる、というわけですね。
>
そーゆーこと!
映像作品なら、ストーリーやフィクションとしての世界を
堪能すんのは当然だけど、
その創り手の人たち、特に裏方の人のことを想像したり……、
スポーツなら観客席の人のこともじっくり見て、
この人はこの場をどれぐらい楽しみにしていたのかとか、
この人は何がきっかけでそのスポーツが好きになったのかとか、
このあと、どこか寄ってから帰宅するのか、
あるいは遠征組でホテル宿泊なんだろうか、
ホテルは会場から遠いのかしらとか、
自分の中で自由に想像すんのよ。
それだけで、小説が何百本もつくれると思わない?
無数の「人生」のかけらを垣間見れるわけだから。
自分の作品の幅を拡げるだけでなく、ネタも見つかるし
多くの人間ドラマに触れることができる、
ということですね。
>
そう!
もちろん、だからって、じゃあ相撲やドラマを観なきゃってことじゃ
ないのよ。
アタシは、同志が増えたら語れるから楽しいけど、
興味は自分で見つけなくっちゃ。
まず大好きになるからこそ、詳しくなりたいと思うし
調べようと思うし、
熱中できるんだから。
好きの結果が、良質なインプットになったり、
あるいはその分野に通じることで作品のテーマにできたり、
創作活動に生かせるようになるんであって、
「生かすために」って前提で何かを知ろう、っていうのはちょこっと違うのよね。
ほらあれよ、
ガラスの仮面で、亜弓様が恋する演技のために恋を知ろうとする
じゃない?
けどほんとに恋を知るにはさ、自分が落ちなきゃいけないでしょ。
え?アタシ?やーねもうっ!!教えてあげないわよっ!!!!!
(お姉、またも強制送還)
……別にきいてないけれどもね……(;´∀`)
そんなわけで。
インプットのお話でした!
猫宮ゆり
ゼロからはじめる小説同人誌
http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin