ゼロからはじめる小説同人誌 の、猫の巻。

「虎の巻(「芸事などが上達する秘訣を記した書」)」には及ばないけど、でも、ほんとのことだけ記していくよ! 小説同人誌にまつわるそんな心意気を、もりもりこめたブログです。

原稿を早く仕上げる方法?自分のタイプを知ること。

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

よく、Twitterなどで、

「こうやれば原稿が捗る!」というやりかたなどが

リツイートされていますね。

 

「なるほど!」と思う方法も多く、自分に合うと感じたら

取り入れてみるのも一法ですよね。

 

ただ、わたしが思うのは、

やっぱり、

「自分のタイプを知る」のが基本だなあ……ということ。

 

これを無視して他者のセオリーを採用しても、

それは、作業効率を上げてはくれないのです。

 

どういうことかというと、

人それぞれ、生まれもったタイプがあり、

これは多くの場合、一生ものです。

そのタイプに優劣や善悪はなくて、

ただ、「こういうタイプ」なのだ、ということ。

 

つまり、

原稿を進める際に、大まかに分けて

とことんひとつの作品、ひとつの作業に集中しまくる過集中型と、

ちょこちょこ脱線・寄り道しつつ、あっちこっちの作品を同時進行で

進める柔軟型がいる。

だいたいの人は、このどちらかに自分の特性を置いています。

 

(そこからさらにオプションで、基本は過集中だけど時々むらっ気を

起こす人、ちょこちょこやるのが普段だけど時に寝食を忘れる人など、

さまざまな癖が派生して存在します)

 

で、この特性を無視したりあるいは矯正しようとすることは、

作業を進める上で、全く効果的ではないのですね。

 

あっちこっちちょこちょこやりたい人が、ひとつの作業や作品に

かじりついても全然自分らしい表現ができなくなるし、

過集中タイプはちょこちょこやるなんて拷問に等しい行為ですし。

 

だから、自分の特性や癖を曲げずに、それを伸ばすようなかたちで

作業を進めてゆくことができると、

もっとも自分らしい表現が叶うということ。

 

わたしなども、典型的すぎる過集中タイプで(;^ω^)、

やり出すと、インターネットは切って、ごはんも食べず

ずーーーっと原稿しています。

原稿中は1日1食ぐらいですね……

こういう気質なので、ちょこちょこやれと言われたらもうもう、

苦痛ですね。

 

自分の特性を伸ばして、自分に合った方法で原稿を進めるのが一番です。

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

「できること」は、やってみてから書く

 

こんばんは。

猫宮ゆりです。

 

今日のタイトル「できることは、やってみてから書く」、

わたしはこれを、とても大切にしています。

 

創作する際、資料をあたって下調べすることも大事だし、

行ける場所なら取材にいってみるのも有意義だし、

考証や検証をしてみることも、作品に説得力を持たせるために

非常に重要です。

 

でも、わたしの場合、それ以上に重視しているのは、

「自分でやってみること」。

 

作中に出すひとつひとつの動作、振る舞い、態度など、

すべてやってみてから描写します。

 

たとえば、

「○○は頬杖をついた」という描写ひとつとっても、

実際にやってみると、テーブルの高さや座っている姿勢が

どうなのか、それによって頬杖の具合が変わってくると

わかります。

 

また、

「○○は茶を飲んだ」だけだと、具体性に欠けますが、

実際に試してみれば、カップの持ち方でその人物を表すことが

できるバリエーションも増やすことができます。

 

「両手でカップを持ち上げ、ふうっと息を吹いた」なら

ちょっとぶりっ子な女の子、

「片手でカップをひょいと取って冷めた茶をあおった」なら

手の大きいちょっぴり粗野な男キャラ、

「細い指が静かにカップの持ち手を取り上げた」なら

上品なお姉さんキャラかな、など、

その場面に膨らみを持たせることができます。

 

動きの激しい場面などなら、一連の流れを自分がやってみると、

細かいところまで描けるようになります。

「あ、こう動くと髪がこんなふうに乱れるのか」

「こうすると、スカートの裾はこういうふうにめくれるんだな」

「腕をこう上げると、下着のストラップがずれちゃうな」

など、実感を伴う描写は臨場感を底上げしてくれて、ぐっと

場面に迫力が出るようになるのですね。

 

むろん、

戦争や人を殺傷するシーンなど、「できないことを、目の前で

起こっているように書くのが小説」ではあるのですが、

簡単にできることは、やってみるのが一番です。

 

絵画でも、想像上のものはイメージで描きますが、

実在するものは写生をしますよね。

それと同じことです。

 

自分の身体でできること、走る、転ぶ、倒れる、歩く、食べる、

飲む、話すなどは、

やってみると本当にそのシーンが生きてきます。

そしてその積み重ねは、想像で描写する際の筆力も引き上げて

くれます。

 

「できること」はやってみる。

シンプルですが、とても有効な方法です。

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

 

 

他表現の妙を小説に生かす②絵本・バレエ・歌詞・俳句

 

猫宮ゆりです。

先日の記事

他表現の妙を小説に生かす①映画や漫画・アニメーション - ゼロからはじめる小説同人誌 の、猫の巻。

の続きです。

 

 

ユリお姉>

もっと早く続きの話をしたかったんだけど、

煙突についたつららを取りにいってズザザってすっ転んだり、

低温やけどでハート型の水ぶくれができたり、

祖母の形見のひな人形を出したりしてたら

今日になっちゃったわね!!( ノД`)

んじゃいくわよ!!

 

 

まず、絵本?

 

 

そう。

アタシは幼稚園時代からずっと絵本が好きなんだけど、

絵本を語らずして表現は語れないわね!!アタシの場合!

 

難しい言葉や言い回しを使わなくても、ややこしい描写を

しなくても、

人の心の琴線へ触れる表現ってできるのね。

絵本の感動って、理屈じゃないものをわかち合うっていうか、

かたちにできないものを伝えられる類のものじゃない?

それってほんとに美しくて、色褪せないし古くもならないし、

押しつけがましくもないし。

 

小説でも、言葉を費やすより行間からしみ出すような表現が

したい人には、良い絵本は最高のお手本になると思うわ。

 

 

確かに、絵本の描写って、すごく心に残るものがあるね。

それから、バレエ?

 

 

そ。

アタシ、バレエもめちゃめちゃ大好きなんだけど、

バレエって、言語での表現がないでしょ。

すべて、動作や演技、そして、マイムで表すの。

でも言語が使えないってことが決して制限じゃなくて、

ものすごく雄弁なのよ。

 

そしてね、その演じ方が、すごく役に肉薄していながら

客観的なの。

それが、小説描写にも参考になる。

 

ある、著名なバレリーナのかたがね、

バレエって、ヒロインが若い娘である作品が多いけど、

自分がその年齢の時には大抵、うまくなんて演じられない。

年を重ねてから、その年頃の娘心の機微をはじめて表現できる

ようになるって意味のことを仰せで、

 

それは、小説でもそうよね。

空気とか、雰囲気みたいなものは、渦中にいる人のほうが

うまいんだけど(中高生が書いた小説の学校のシーンは、

だいたいすごく上手ね)、

人物の心象や感情とかは、渦中にいると切り離して見ることが

できないから、これは大人が書いたほうが巧みよね。

 

いったん我がこととしてのみこんで、そしてそれを客観視して

外へと放つ。

そのことを、バレエから学べると思うわ。

 

 

なるほどね。

ロミオとジュリエット」なんてほんとにそうだよね。

で、次は、……歌詞?これは?

 

 

ねー。

あ。次ね。

歌詞はね、これはもー、ものすごく勉強になるわよ!

 

あのね。

アタシね、幼少時代、いっつも祖父母の家に

預けられてたんだけど、

そこで、明治生まれの祖父のあぐらの中で、よく

祖父が好きだった音楽を一緒に聴いてたのよ。

ふるーーーーい蓄音機でね、音の調節とかできないから、

これかけたら近所中に響き渡っちゃうでっかい音で、

けど誰も文句なんか言わなくて、ぞろぞろ縁側に集まってきて、

みーんなで音楽を楽しんだもんよ。

 

その、祖父が持ってたレコードってのが2枚しかなくてさ、

ひとつは「薩摩の女」サブちゃんね。

もうひとつが、二葉百合子さんの「岸壁の母」だったの。

それが、アタシにとって強烈な原体験ね。

 

この「岸壁の母」と、あと

「みだれ髪(美空ひばり)」

越冬つばめ森昌子)」

「北の宿から(都はるみ)」

神田川かぐや姫)」

「愛人(テレサ・テン)」

 

ちょっと、リンクは貼らないけど、歌詞見てきて!

 

 

……どう?この歌詞だけで、どれも、今すぐにでも小説が

創れそうでしょ?

 

歌詞ってね、こんなに少ない文字数で、とんでもなく

物語を内包してるのよね。

その歌の世界観を濃縮したというより、世界観そのもの。

描写でありながら骨子であり、

揺るぎない表現でありながら歌声と音色の引き立て役にもなる。

こういうものって、そうはないわよ。

 

岸壁の母」は1回聴いただけで、晴れの日も雨の日も岸壁へ通う

母の服装や足どりまで想像できるし、泣けてくる。

 

越冬つばめ」の出だしなんかもうずるいわよね!!( ノД`)

美しすぎる上に切なすぎる……。

 

とにかくね、語りたいことは山ほどあるんだけど、

歌詞はこんなふうに、「世界観を凝縮する」ってことを、

ものすごくものすごく示唆してくれるの。

「その世界への引きこみかた」も、教えてくれるわ。

越冬つばめ」も「愛人」も「みだれ髪」も、

1行め、ひとことめから、完全にその歌の世界へ

引きこむつくりよね。

これは、小説の冒頭にも役立つわよ。

 

 

あー、ほんとだ(´;ω;`)

歌詞に思わず泣いてました。

ドライアイ予防にもいいですね……。

さて、そして、最後なんだけど、「俳句」?

 

うんうん。

泣くのは心の安定にもすっごくいいのよ。

 

んでね、この「俳句」なんだけど、

テレビ番組「プレバト」の、夏井先生の俳句添削のこと。

観たことある?

あれ、すっごいわよ。

 

 

「才能ナシ」とか「ど凡人」とかなるやつね?

 

 

そうそう!

あれ、アタシも最近は観てないんだけど、観てるとすごく

参考になるところがあるわよね。

小説と俳句は全然違うけど、取り入れられるものがいっぱい

ある。

 

俳句は、単純に使える言葉の数が少ないし、端的でなきゃいけない。

でも、広がりのある表現をしてこそ味が出る。

小説の描写がくどくなり過ぎる人や、説明過多になりがちな人には

特に有益ね。

推敲の時に、どこをどのぐらいいじればいいのか悩みすぎちゃう人にも

いいと思うわ。

あれを観てると、どこがいらない部分でどこが光る部分なのか、

ちゃんと自信持って判断できるようになるから!

 

なるほど!

いろいろなものの良さや利点を吸収して、自分の創作に生かして

いけるといいですね。

 

ね!

勉強になるものは、そこらへんじゅうに転がってるから、

全部有効活用してきたいわよねっ。

 

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

他表現の妙を小説に生かす①映画や漫画・アニメーション

 

こんばんは。

猫宮ゆりです。

 

今回は、小説に生かせる他表現の良さ、

取り入れて活用したい素晴らしさを、

ユリお姉とともに掘り下げてゆきます。

 

 

ユリお姉>

いいお題ね!!

やっぱり、いい小説を創りたいと思ったら

いい小説を読むのは超大事だけど、

馬鹿のひとつ覚えみたいに小説ばっか

読んでたってダメなのよね。

視野が狭くなっちゃう。

頭も固くなって、なんかこうわかったよーな

気になっちゃいがちになるもんね。

なーんもわかっちゃいないんだけど。

 

 

ユリお姉は、他表現で特に参考にしている

ものはある?

 

映画やテレビドラマは、好きな作品が多いわよ!

アタシは、なんでも食わず嫌いせず観るって

ほうじゃないんだけど、

気に入るともーーーはまっちゃう。

 

で、映像作品ってさ、やっぱ、生身の役者さんが

動いてくれるのが最高よね。

間の取りかただったり、場面の切り替わる箇所だったり、

すごく刺激になるわ。

小説にしたいシーンを、映画みたいに頭の中で活写して、

よりドラマチックになる体勢やアングルを編み出すのにも

参考になるし。

 

あと、なんといっても台詞の言いかたよね!

声のトーンや言いあぐねたり言葉に詰まる感じ、

あとヤクザ映画で罵声あげたりやられて呻く感じとかも

もーーーー超大好物よ(≧▽≦)!!!!

え?話が脱線してるって?

してないわよ、参考になるって話じゃないの。

ま、あくまでもドラマもフィクションだから、そればっかり

参考にしてると逆に芝居がかった台詞ばっかになっちゃたり

するけどね。

 

 

なるほど。

でも確かに、映像作品での人と人の距離の取りかたや

表情、身振り手振りはすごく刺激になりますね。

漫画とかはどう?

 

 

もちろん漫画も好きよ!

こないだここのブログでしてたヨータと伸子ちゃんの話

アタシもめっちゃうなずいてたもの。

あれはすごいわよね……。

なんかさー、他の漫画だと、

「紙の上に描いてあるな、平面だな」っていうベース感覚のあとに、

「面白いな」「うまいな」「すごいな」とかって感想が出てくる

んだけど、

桂先生の漫画は、まず「平面だ」って感じないのよね。

あのシーンも、ガチで「触ってる」って感覚が伝わってきたわ。

 

漫画で勉強になるのはやっぱり、描写の強弱だったり勢いだったりの

表しかたと使い分けよね。

それと伏線の入れかたとか。

 

あと、漫画で映像作品の良さを取り入れているものもあるわよね。

ルパンの原作者モンキーパンチ先生も、映画が好きで、

「映像のように絵を表現すること」を大切にしているそうよ。

だからスリルがあって起承転結のきいた作品づくりが巧みで

おられるのね。

 

 

へえ!

じゃあ、アニメーションはどう思う?

 

 

アニメーションは、もともとアタシは全然観ないほうだったの。

だって、しょーがないけど、アニメってどうしてもこう、

演出過剰ってゆーか、こう……

「こんな喋りかたする人いないでしょ」って感じじゃない?

トースト食いながら突っ走って「やっべー!遅刻遅刻ぅ!」とか

テンション高く言ってる日本人見たことある?

いないわよ(´-∀-`;)

どっちかってゆーと冷や汗だらだらで無言でひた走る感じじゃない??

 

とか思ってたんだけど、

このごろは、ひとつ毎回観てるアニメがあるわよ。

そして、これもすごく刺激になってる。

小説でも漫画でも映像でも表現できないものを、

アニメは表現できるんだってわかったのよ。

フィクションと現実の間、

ファンタジーと現実の間にあるものを、

アニメだと描けるんだってね。

そういう、目に見えない領域を小説表現にも

生かしたいわよね!

 

 

イマジネーションが拡がるね。

そのほかは?何かある?

 

 

いーーーっぱいあるわよ!

あと4個ぐらいあるから、

一回区切ったほうがいいかもっ。

 

 

 

では、いったんカットで続きます!

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

 

 

 

音や声、香りや手ざわりを紙面に表す

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

今日のテーマは、技術というには感覚的なところですが、

五感を表現に落としこむ」という課題について、

お話していきたいと思います。

 

小説の表現や描写には、さまざまな手法・技法・タイプが

存在しますね。

一般に、男性作家は論理的で空間やその場の様子を具体的に

描写し、

女性作家はどちらかといえば内的なもの、感情や実体の

つかめないものを描写するのが得手だとされています。

 

これは個々人のタイプにもよるので断言はできないし、

同じ人物でも違う表現に挑むことや作風を変えることも

ありますね。

 

しかし、どのような描写軸を持つとしても、

扱えるとぐっと作品に臨場感や深みが出るのが、

「五感」の描写です。

 

五感といっても視覚に関しては、主人公の視点で見えて

いる世界を描写していくことが多いわけですから、

ここは大抵の場合、基本的に誰しもがやっているところ。

 

残る聴覚、嗅覚、味覚、触覚は、使うのが抜群にうまい人と、

あまり意図して使えていない人がいます。

 

これらは、感覚のそのものを紙面に織りこむことは、

もちろん実体がないのでできませんね。

「鈴の音がした」と言葉で記したところで、鈴の音が実際に

読み手の耳元で鳴るわけがありません。

「吐きそうに甘いお汁粉だった」と書いたって、読み手が

ああああああ甘い!!とは決してなりはしない。

 

でも、その「なりはしない」ものを、実体もなく架空の描写でしか

ないものを、表すことができるのもまた表現の力です。

 

これを扱えるようになると、読み手を作品世界へ引きこむ力が

抽んでて強くなります。

フィクションでありながら、あたかも

「今ここに実在する世界」のように、

作品を立体化させることができるようになります。

 

 

そのためには、普段から自分の感覚を、注意深く咀嚼すること。

 

「ああ、熱いお味噌汁だと眼鏡がこのくらい曇るのか」

「お茶がどのくらい冷めたか、飲む前からカップを口に

近づけた段階でわかるなあ」

「雪かき何分やると、手が冷たくて痛くなってくるな」

「爪切る時って無意識に息止めちゃってるな」

「息の吐きかたで、冷たくもあったかくもなるな」

「食べものによって、右側で噛んだほうがおいしいものと、

左側で噛んだほうがおいしいものがあるな」

「台所にいても、居間で家族が煙草を吸うと匂いですぐわかる

もんだなあ」

 

など、見過ごしてしまいそうなことでも、ひとつひとつ

実感として自分の内に蓄積していきます。

そしてそれを、客観視したものに置き換えて=作品の

世界観に合うように編集加工して、

作品に使っていくのです。

 

これは確かな実感を纏った言葉になるので、

なんとなくの想像や適当に表現した気になった言い回しとは

一線を画します。

どれだけ編集しても、感じた時の基盤が自分の中にあるので

芯は変化しないし、感覚というのは概念や調べた物事と

違って一生ものなので、何度でもいつでも思い起こすことが

できる強みもあります。

 

「自分の感覚」はひとりひとりみんな違うから必ず

オリジナルですし、磨けばもっともっと鋭くなって

いける便利で唯一無二の武器になります。

 

音や香り、手ざわりや味わいを自分らしく表現できるようになれば、

作品の魅力も深さを増すでしょう。

 

2016年の直木賞を受賞した恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」も、

「音」への類稀な肉薄が結実した作品でした。

 

 

また、触覚でいえば、これは漫画作品ですが桂正和さんの

右に出るものはいないのではないでしょうか。

 

わたしは「電影少女」でヨータが伸子ちゃんの身体に初めて触れる

場面など、初読から20年以上経つ現在でも、

「凄いなあ」と思い出し続けています。

ほんとに触ってる感じが出ているのですよね……。

「人間の手は、パジャマの上からでも肌の部分と下着の部分の

区別がつくなんてすごい」

というヨータの感覚もこれもまた、実感したことがないと

出てこない描写だと思います。

(当時、読みながら自分でやってみて「確かに!!」と

驚愕したおぼえがあります)

 

感覚を噛みしめながら生きることは、

日々を丁寧に生きることでもありますね。

いろいろ試しながら、よりよい表現の道を

模索していきたいものです。

 

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

小説同人誌の表紙や装丁を自分で創る、その幸せ。

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

今、巷には素敵な小説同人誌の装丁があふれていますね。

 

「どうしたらこんなに素敵なデザインを思いつくんだろう……!」

というぐらい、素晴らしい作品をたくさんお見かけします。

 

それには、同人誌の装丁デザインサービスをおこなっているかたが

増え・また普及したこと、

デザインのセンスと技術に長けた小説同人誌サークルさんが

多くなっていることが

言えます。

 

でも一方で、

「自分はそういう、おしゃれな表紙なんてつくれないし」

「ツールの使いかたとか、素材とかよくわからないし」

「やってみたけど、思ったふうにできなかった」

「正直、見てくれにこだわる時間があれば小説自体の質を

高めたいし」

というかたもまた、多いのではないかと思います。

 

 

これは切実ですよね。

わたし個人も、同人誌を素敵な装丁で創る、というのは

夢のまた夢だったというより、諦めていました。

「どうせうまくできないし、やったって時間の無駄」

とも感じていました。

 

でも、思いはあったのですよ。

本のかたちにするなら、やっぱり、できるだけ自分の思った

通りの装丁にしてみたい、って。

 

それで、試行錯誤を始めました。

調べながら、やってみながら、

最初は「レイヤーを重ねる」ことの意味もわからず、

投げだしたい時もたくさんあった。

その辺りのことは、以前にもこのブログで記しました。

小説同人誌の、装丁の話。 - ゼロからはじめる小説同人誌 の、猫の巻。

 

 

 

2016年11月に「ゼロからはじめる小説同人誌」を始動してからは、

小説同人誌の装丁サービスも試験的に始めているのですが、

それには、そのかつての自分の思いが強くはたらいています。

 

というのも、わたしができる装丁サービスというのは、

ほんとうに大したことがなくて、たかが知れています。

既に、素晴らしいクオリティで装丁サービスをおこなっている

かたもたくさんおられ、拝見してはその珠玉さに感動していますが、

でもそれをやりたいな!と思ったのは、

 

本づくりをやってみたいけど諦めている人、

素敵な装丁に憧れるけど無理だなと思っている人に、

「こいつでもこのくらいはできるんなら、自分もできるように

なるな!」

と、思っていただきたいから。

 

なので、リピーターになっていただきたいとは考えていませんし、

自分で創ろうとするかたには、何回でもいつでも相談にのります!

というふうにしています。

 

だってね、

素晴らしい装丁サービスを提供しておられるかたの技術はほんとうに

すごくて、わたしなどでは生まれ変わってもかないません。

でも、どんなに秀逸な技術があったとしても、

そのかたの作品の世界観を、そのかた以上に表現することは

不可能なのです。

 

「この物語はこうなんだ!!」

という、唯一無二の、そのかたの中にしかないものを、

他者が表すことなんて、できるわけがない。

 

だから、自分で創れるようになること。

わたしが応援したいのはこの地点です。

 

 

どんなに拙くても、

フリーソフトだけでも、

【自分の表現したいもの】があれば、それを諦めなければ、

必ず素敵な装丁をかたちにできます。

 

 

その満足感と幸せは、ちょっと他で代替できないくらいの

至福です。

自分でやればタダですしね(^ω^)♪

 

 

もちろん、記念の本や、特別に気合いをこめた本にしたい時、

素晴らしい装丁サービスのかたにお願いするのも、

一生の記念になるし、素敵なことです。

デザインに秀でているかたの仕事を見るのはすごくいい体験

ですしね。

 

 

でも、自分で創るって楽しいですよ。

ものすごくエキサイティングでわくわくして、

興奮と感激で満ちあふれている。

 

だから、わたしは装丁を考えさせていただく際は、

その作品を拝読し、

デザインに合う紙も考えたり、

必要なら手順ややりかたもすべてクリアにお伝えします。

 

「かたちにできてうれしい!」

という気持ちを、もっと知る人が増えていったらいいな、

と思うので。

 

 

ゼロからはじめる小説同人誌の装丁サービス

よかったらのぞいてみてくださいね。

 

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有効なインプットのために。「さまざまなものに触れて幅を拡げる」方法(2)

 

こんにちは。

猫宮ゆりです。

 

有効なインプットのために。「さまざまなものに触れて幅を拡げる」方法(1) - ゼロからはじめる小説同人誌 の、猫の巻。

 

先ほどの記事の続きです。

 

 

インプットを生かせる状態の時に、では、どんなものに触れるか。

さまざまなものに触れて幅を拡げる、とひとことで言っても、

どんなものを指すのか?ということですが……

 

ユリお姉は、どんなインプットをしてる?

 

 

ユリお姉>

あら、なによ久しぶりじゃないの!

ちょーどいい話題だわね、

アタシも最近脱稿したから、

インプット楽しんでるとこだったのよ。

めっちゃ楽しいわよね!!

 

 

 

ユリお姉は何が好きなんだっけ?

 

 

アタシは自分の好きなものしか見ないから、あんまアタシのインプットを

説明しても役には立たないかもしんないけど、

のめりこんでるのは大相撲とフィギュアスケート(ユー○じゃないわよ)

と将棋ね!!

 

もしこれ全部が禁じられる時代が来たら、地上に未練がなくなるレベルよ。

 

そのほかは、ほとんどアニメも観ないし連載追ってる漫画も今はひとつしか

ないけど、

本を読んだり、図書館ではよく画集や、海外の建築の資料を見るわね。

あと、テレビドラマと時代劇と映画。

 

 

 

そうなんだ。

でも、読書や建築資料、映像ものはまだわかるけど、

スポーツ観戦がインプットになるの?

 

 

あのねー、それがインプットになるかどうかは、

自分しだいなのよ!

どんな良いものでもただボサっと見てたらなんにもなりゃしないわ。

 

逆に、一見関係ないものに思えることだって、自分の意識しだいで

もんのすんごく有意義な師になるのよ。

 

たとえばね。

アタシが相撲やフィギュアスケートで何を見てるかって、

力士の取組や選手の演技であることには違いないんだけど、

もっと全体的に見るの。

 

相撲ならね、力士は支度部屋を出たら、花道と呼ばれる通路で

準備して、それから土俵下に向かうんだけど、

花道を発つまでは、関取(十両以上の力士)には、

付け人さんがついているの。

で、アタシは、それをめっちゃ見てるの!!

 

付け人さんっていうのは、幕下以下の力士で、自分の取組は2日に1回だけ。

そのほかの日は、自分がついてる関取のお世話をしたり、部屋の雑用を

したりする。

忙しいし、関取のお世話を第一にしなくちゃいけないし、大変なのよ。

 

花道では、その付け人さんが関取にお水を渡したり、背中を拭いたり……

関取が取組を終えて戻ってくるまで、じっと待っている。

 

関取が負けて帰ってくれば、タオルを放り投げてきて八つ当たりされる

ことだってある。

関取が勝って戻ってきたら、たとえ自分が負け越していても笑顔で労って

あげなくちゃいけない。

 

一生懸命で、すごく健気な人たちなのよ。

アタシはそれを見てるともうもう、ガチで号泣よ( ノД`)

 

そんで想像するわけ、

付け人さんの毎日や人生を!

 

朝は眠いのに関取より早く飛び起きて、

「あああ今日は洗濯しなくちゃもう替えのパンツがねえ!でもやる暇あるかな」

とか考えながら稽古して関取の支度を手伝って、

親方からもおつかい頼まれて、

関取の荷物かついで場所入りして、

疲れても弱音も吐かず、

たまに田舎の親から来るメールには「ターくんが横綱になるの楽しみに待ってるよ」

なんてあって、なれないよ母ちゃん、とかひとり泣いたりして、

そんで……

 

 

あーっと、ユリお姉がノンストップに……

それが、どう創作活動の有効なインプットにつながるの?

 

 

なによもー、これからがいーとこだったのにヽ(`Д´)ノ

だからね、

そうやって、ある人のことを洞察して、ただ眺めているだけじゃ

わからない細部まで想像することで、

作品の人物像に深みを出せるのよ。

 

よくあるじゃない、ファンタジーものの設定で、

「目はオッドアイで、髪は青で、失われた魔族の血を引いていて

うんぬんかんぬん」

みたいなやつ。

そういう外見的で基本的な設定ももちろん大事だけど、

でもそれだけだと、

その人物が「素ではどんな人間なのか」ってことは、

わからないでしょ。

 

「靴下は必ず右足から履く」とか、

 

「よく耳かきしすぎて血を出している」とかさ(;´Д`A ```

 

そんな、物語の世界観としては全くどーでもいいような

ことが、その要素を実際に作中で出す出さない関係なく、

人物像を立体的にして味わいを深めてくれるのよ。

アタシが付け人さんを見守って日々を想像して感じることは、

それにすっごく通じるの。

 

 

設定は魅力的なのにどうもぱっとしない、と自分の

キャラクター描写に納得できない場合は、

こんなふうに人物像へ肉薄していくと、ぐっと

キャラが身近になるわよ。

 

 

そういうことを、アタシはドラマや時代劇や将棋対局でも、

いろいろ想像しながら観てるってわけ。

 

 

なるほど!

考えたら、スポーツや映像作品の全部に、「人間」が

関わっているものね。

人間の生身の人物像や生きざまをたくさん知って、想像して、

それで得られたインスピレーションが自分の作品に

生きてくる、というわけですね。

 

 

そーゆーこと!

映像作品なら、ストーリーやフィクションとしての世界を

堪能すんのは当然だけど、

その創り手の人たち、特に裏方の人のことを想像したり……、

 

スポーツなら観客席の人のこともじっくり見て、

この人はこの場をどれぐらい楽しみにしていたのかとか、

この人は何がきっかけでそのスポーツが好きになったのかとか、

このあと、どこか寄ってから帰宅するのか、

あるいは遠征組でホテル宿泊なんだろうか、

ホテルは会場から遠いのかしらとか、

自分の中で自由に想像すんのよ。

 

それだけで、小説が何百本もつくれると思わない?

無数の「人生」のかけらを垣間見れるわけだから。

 

 

自分の作品の幅を拡げるだけでなく、ネタも見つかるし

多くの人間ドラマに触れることができる、

ということですね。

 

 

そう!

もちろん、だからって、じゃあ相撲やドラマを観なきゃってことじゃ

ないのよ。

アタシは、同志が増えたら語れるから楽しいけど、

興味は自分で見つけなくっちゃ。

 

まず大好きになるからこそ、詳しくなりたいと思うし

調べようと思うし、

熱中できるんだから。

 

好きの結果が、良質なインプットになったり、

あるいはその分野に通じることで作品のテーマにできたり、

創作活動に生かせるようになるんであって、

「生かすために」って前提で何かを知ろう、っていうのはちょこっと違うのよね。

 

ほらあれよ、

ガラスの仮面で、亜弓様が恋する演技のために恋を知ろうとする

じゃない?

けどほんとに恋を知るにはさ、自分が落ちなきゃいけないでしょ。

え?アタシ?やーねもうっ!!教えてあげないわよっ!!!!!

(お姉、またも強制送還)

 

 

……別にきいてないけれどもね……(;´∀`)

 

そんなわけで。

インプットのお話でした!

 

 

 

猫宮ゆり

ゼロからはじめる小説同人誌

http://noveldoujin.wixsite.com/novel-doujin